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2010/01/06

10-003_祖父

幼稚園や小学校低学年の頃、誕生日会等でよく書かされた問いに対し私は

  尊敬する人→「おじいちゃん」

  将来の夢 →「大工さん」

といつも書いていました。

そんな尊敬する母方の祖父が昨年暮れに亡くなりました。仕事一筋でまじめで率直で曲がったことが嫌いなやさしい「じいちゃん」でした。今思えば独立する際に、そんなに躊躇なく独立できたのは、今ある事務所の場所(当時は秘密基地)からそんな姿を見てきたからなのかと思います。

そもそも独立時、この場所で始めようと思った要因の一つは祖父の介護でした。介護といっても当時祖父は寝たきりとかではなく、90歳でも工場に立っており、痴呆がでていた程度でしたが。母方の祖母は数年前に他界していますが、毎日介護をしていたのは母と伯父。それを見ていて一人でも人数が多いほうがいいかということと、高齢化社会という問題に対して建築的な回答は体感しないとわからないのかなぁということで、この”秘密基地”で始めようと思った記憶があります。

事務所を始めた頃は外出が少なかったので、伯父と母と私のローテーション。祖父は工場に出ているといっても、実質は伯父が工場を廻しており、どちらかというと工場にいることでのボケ防止。(毎日工場に出ていたわけですから・・・)なので運動や掃除が日課でした。伯父が配達に母が買物に行っている午後2時~5時位は祖父と私の長いおやつタイム(笑)。毎日のように戦争の話を聞いたり、仕事の話を聞いたりしながら。(毎日同じ話だったので嫌な顔をしていたなぁ~ごめんなさいm(__)m)

時が経つに連れ序々に痴呆が進み、工場にでること自体が危険なのでどちらかというと監視役に廻ります。打合せ日は伯父が配達のない日を極力選び、パソコン越しに祖父が見えるよう事務所のレイアウトも向きを変え、祖父が工場に向かおうとすると止め、向かおうとすると止め、向かおうとするとトイレだったり(笑)日中は仕事にならなかったのは言うまでもありませんが、今となっては懐かしいです。

私のタフさは祖父譲りなのかも知れませんが、92歳になっても階段の昇降は自力できていましたが、昨年暮れの早朝トイレに向かう廊下で転倒し背骨を骨折。寝たきりになってしまうのだろうと家族で覚悟を決めていましたが、入院一週間程度で・・・。やはり人間は歩けなくなるとダメなんだ・・・と思った記憶がありますし、ある意味家族思いだっだのかと・・・。今では普通に仕事をしていますが、パソコン越しに祖父がいないことを寂しく思うこともあります。

祖父の遺品を整理していると、いろいろと発見が。

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↑どんだけ名誉のある表彰なのかわかりませんが、小さい時から見てきた祖父が受けた表彰状

1000031

↑たぶんその表彰を受けた祖父が創ったネジの機械の写真。

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↑祖父がこの工場を立ち上げる前に働いていた工場長時代の新聞記事。

他にも、ネジのスケッチやらいろいろと。今となっては後悔先に立たずというもので、当時のことを聞けるわけもなく、戦争の話を聞くなら、ここらへんの話を聞きたかったわけですが・・・。

本当に綺麗なストーリーとしては、私がネジ工場を継いでいくのが筋なのかも知れませんが(苦笑)、自分が小さなころから興味を抱いていたのは「建築」であり、「大工」にはなりませんでしたが、物心ついたころには「設計」でありまして・・・。しかしながら「モノづくり」という点では、やはり祖父がつくるネジをみてきたからなのかと思いますし、祖父とそんな話はしたことがありませんが、自分が思う「設計」の進め方や精神は同じようなところにあるのではないかと遺品を整理していて思いました。

やはりANE-Xの原点はネジ工場。今後もネジ工場とともに活動を続けていきたいと思います。

「じっちゃんの名にかけて」(笑)

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